こんにちは!佳琳です。
今回は、話題の新書『ケーキの切れない非行少年たち』を読んだので、あらすじをまとめました。
本作は、非行少年が犯罪を繰り返す理由を脳の認知機能という側面から解説し、再犯防止や子どもたちの非行化を防止する対策について提言する意欲作です。2019年7月に出版されると、同年9月22日放送の日本テレビ系バラエティ番組「シューイチ」で取り上げられ、大きな反響を呼びました。さらに、2019年10月には、トーハンの週刊ベストセラーにおいて、新書(ノンフィクション部門)で第1位を獲得しました。
本記事では、『ケーキの切れない非行少年たち』のエッセンスを約15,000字でまとめたので、本作に関心があるが一冊読み切る時間がない方や概要を押さえたい方などに必見です。
- 1.筆者が本作を執筆した経緯
- 2.非行少年に共通する特徴
- 3.非行を防げなかった理由
- 4.現状の問題点
- 5.困難を抱える人を支援する実践的なメソッド
- 6.終わりに
筆者が本作を執筆した経緯
筆者の宮口幸治(みやぐちこうじ)氏は長年、公立精神科医病院に勤務し、発達障害、被虐待、思春期の子どもたちの診察や重大犯罪を行った青少年の精神鑑定等に携わっていました。児童精神科医として順風満帆なキャリアを積む中、発達障害を持ち性の問題行動を抱える少年との出会いが、筆者の人生を変える大きなきっかけとなります。
女性の身体を触ることにこだわりを持つその少年に対して、筆者は認知行動療法に基づいて治療を行いました。認知行動療法とは、思考のゆがみを修正することで適切な行為・思考・感情を増やし、不適切な行為・思考・感情を減らすことや対人関係スキルの改善などを計る治療法で、性加害防止に効果があるとされています。しかし、認知行動療法は「認知機能という能力に問題がないこと」を大前提に考えられた手法であり、発達障害と知的なハンディを併せ持っていた少年は指導内容を理解できず、思うように治療効果は上がりませんでした。
病院では、発達障害や知的障害を持ち様々な問題行動を繰り返す少年たちに対して投薬治療などの対症療法的しか出来ず、根本的に治すことは困難でした。そこで筆者は、生きづらさを抱えている少年たちを具体的に支援するアプローチや治療方法を探るため、精神科病院の職を辞し医療少年院に赴任します。
医療少年院は、発達障害や知的障害を持ち非行を行った少年が集められる矯正施設です。筆者は多くの非行少年と出会う中で、「反省以前の子ども」が多く存在する事実に気付きます。少年たちの認知能力は非常に低く、本作のタイトルにもある通り「ケーキを等分に切る」ことすらできませんでした。他にも、四則演算ができない、漢字が読めない、簡単な図形を書き写せない、短い文章を復唱できないなど、「見る力」「聞く力」「見えないものを想像する力」がとても弱いために生きづらさを抱え、最終的に非行や犯罪に至っていたのでした。
非行少年に共通する特徴
筆者は少年院に収容された非行少年たちと面接を重ねる中で、彼らに共通する特徴を見つけます。以下の6つに分類されます。
- 認知機能の弱さ:見たり聞いたり想像する力が弱い。
- 感情統制の弱さ:感情をコントロールするのが苦手。すぐにキレる。
- 融通の利かなさ:何でも思いつきでやってしまう。予想外のことに弱い。
- 不適切な自己評価:自分の問題点が分からない。自信があり過ぎる、なさ過ぎる。
- 対人スキルの乏しさ:人とのコミュニケーションが苦手。
- +1身体的な不器用さ:力加減ができない、身体の使い方が不器用。
なお、身体的不器用さについては、幼少期からスポーツ等を経験し身体機能に優れており当てはまらないケースもあるため、「+1」と表現しています。
認知機能の弱さ
認知機能とは、記憶、知覚、注意、言語理解、判断・推論などの様々な要素が含まれた知的機能です。人は五感(見る、聞く、触れる、匂う、味わう)を通して外部から情報を得ます。得られた情報を基に計画を立て、実行し、様々な結果を作り出していく過程で必要な能力が認知機能で、全ての行動の基盤になります。逆に言えば、五感から得られた情報が間違っていたり歪んでいたりすると、誤った方向に行動してしまい、良い結果を得られません。
つまり、見る力・聞く力が極端に弱い少年たちはうまく物事を認知できないので、不適切な行動を引き起こしたり、支援者が伝えたい情報が本人に正確に伝わらず支援が空回りしたりするのです。例えば、何もしていない他者に対して一方的に「相手が睨んできた」と被害感を募らせるケースや、誰かが独り言を話している姿を見て「あいつが俺の悪口を言っている」と誤解するケースなどがあります。
また、想像力が弱いと、将来の目標を立てられず努力すらできません。努力なしには成功体験や達成感が得られないので、自己評価が低い状態から抜け出せません。同時に、他人の努力が理解できないため、人が一生懸命働いて買ったバイクを平気で盗むなど、軽率な行動につながります。認知機能の低さは、勉強が苦手というだけではなく、様々な非行や犯罪行為につながる可能性があるのです。
さらに、認知機能が弱い非行少年は、矯正教育を行っても積み重ねができません。被害者の手記などの文章自体が読めないので指導内容が理解できません。まさに「反省以前の問題」であり、本人たちの発達レベルに応じて「見る」「聞く」といった根本的な認知機能の底上げが必要です。
感情統制の弱さ
人は五感を通して得た情報を「感情」というフィルターをかけて認識するので、感情の統制がうまくできないと認知機能にも様々な影響を及ぼします。例えば、誰しもカッとして感情的になると冷静な判断ができなくなります。感情統制の弱さは、感情に振り回されるということであり、不適切な行動につながります。
自分の気持ちや感情を言葉で表すのが苦手で、カッとなるとすぐ暴力や暴言が出てしまう子どももいます。こういった子どもたちは、何か不快な出来事があってモヤモヤを感じても、自分の心の中にどんな感情が生じているか理解できず、ストレスへと変わっていきます。蓄積されたストレスの発散方法を間違えると、いきなりキレて犯罪を起こすという結果につながりかねません。
融通の利かなさ
人は困難な状況に直面すると、いくつかの解決案を考えます。複数の選択肢の中からどの方法がよいか比較・検討し、実行に移して解決を目指します。うまくいかなければ他の方法を選び直して、再度実行します。解決案のバリエーションの豊富さと、状況に応じて適切に選択肢を決める「融通を利かせる力」の2つが重要になりますが、非行少年たちの多くはどちらも苦手としています。
例えば、お金が必要だがお金がないという状況にある場合、アルバイトする、親族から借りる、宝くじを買うなどの解決案が考えられます。しかし非行少年たちは、そもそも思いつく選択肢の幅や数が少なかったり、強盗することを思いつくなど選択肢の内容自体が不適切だったりします。また、解決策を実行していく段階においても1つの選択肢に固執してしまい、それがうまくいかなかった時に別の選択肢を選び直したり、他の解決案を考え出すなど、柔軟な対応ができません。
このような頭の硬さや融通の利かなさは、問題解決の場面以外に日常生活においても、悪影響を及ぼします。例えば、人に話しかけたのに反応がなかった時、思考の融通が利かない子どもは、自分の声が小さくて気付かれなかったなど他の可能性が思い浮かばず、相手に無視されたと思い込んで修正がきかなくなってしまいます。このような考え方をしていると変に被害感が強くなり、円滑な対人関係が築けなくなってしまいます。
不適切な自己評価
非行や犯罪など不適切な行動をとった少年に、それを正したいという気持ちを抱かせるためには、まず「自分の今の姿を正しく知る」というプロセスが必要になります。自己の問題や課題への気付きを促し、「より良い自分になりたい」という気持ちを持たせることが、変化への動機づけになるからです。
しかし、自己評価が適切でなければ、自己へのフィードバックが正しく行えず、誤りを正せないばかりか対人関係においてもトラブルを起こしてしまいます。筆者が出会った非行少年の中には、過去に殺人事件を起こしたにも関わらず「自分は優しい人間だ」と言い切る少年もいました。自己に対する歪んだ評価を修正しなければ、過去に起こした犯罪への反省や更生につながりません。
適切な自己評価は他者との適切な関係の下で初めて育まれるものです。非行少年たちの多くは認知機能に問題を抱えているため、適切な人間関係を築けません。自分の言動に対する相手の反応を読み取ったり、相手が話す言葉を正確に聞き取ったりすることができなければ、適切な自己評価を得ることは困難です。
対人スキルの乏しさ
対人スキルの乏しさは、成育環境や本人の性格、発達障害などの様々な要因から生じますが、認知機能の弱さが原因となることもあります。見たり聞いたり想像する力が低いと、相手の気持ちや場の雰囲気が読み取れない、話の背景を理解できない、会話が続かない、行動した先のことが予想できないなど、人と上手にコミュニケーションがとれません。
対人スキルが弱い子供たちが特に困ることは、大きく2つあります。
- 嫌なことを断れない:悪友からの悪い誘いを断れないなど
- 助けを求めることができない:いじめに遭っても他者に助けを求めることができないなど
悪いことを断れないと周囲に流されて非行化してしまい、助けを求めることができないと心に深刻なダメージを残します。子どもたちにとって最大の対人トラブルはいじめです。いじめ被害によるストレスを発散するために非行や犯罪に突っ走ることもあり、被害者が更なる被害者を生む悪循環になっています。
身体的な不器用さ
非行少年たちの中には、身体の使い方が不器用な少年も散見されます。動きがぎこちなく体育・スポーツが苦手というだけではなく、力の加減で苦手で物を壊したり周囲の人にケガを負わせることもあります。少年院を出た後、働こうとしても身体的不器用さのために仕事をクビになったり、本人にそのつもりがなくても傷害罪を起こしてしまうケースがもあります。
身体的不器用さは、とても目立ちます。仮に勉強で悪い成績をとったとしても周囲にバレないように隠すことができますが、身体の動きは隠しようがありません。みんなでタイミングを合わせて行うダンスなどの運動では、足を引っ張ることになるので、周囲から責められて自信を失ったり、いじめのターゲットになる可能性も生じます。このような少年たちには、学習面や社会面に加えて、身体面への支援も欠かせません。
非行を防げなかった理由
認知機能が低い、感情統制が弱いなどの特徴があったとしても、周囲から十分な支援やフォローを受けれていれば、非行を防げたはずです。このような特徴は幼少期からサインとして発せられているにも関わらず、周りの大人に気付かれないために適切な支援に辿り着けていない現状があります。本人が幼少期のうちは問題が顕在化しなくても、中学、高校と年を経るにつれて非行化して手が付けられなくなり、最悪の場合犯罪を犯してしまうのです。
このように特別な支援を必要としながら受けてこられなかった子どもたちは、少年院にはもちろん、実は一般の小・中学校にも一定数存在します。困難や生きづらさを抱えている子どもに対する支援の不足という問題は、少年院だけに留まらず普通学校にも大いに関わる点から、現代の日本社会に根深い問題なのです。
気付かれない子どもたち
学校教育の現場では、様々な課題や困難を抱えている子どもたちが多くいます。学校コンサルテーションや教育相談・発達相談にも携わる筆者の元には、下記のケースがよく相談内容として挙がってきます。
- 感情のコントロールが苦手ですぐにカッとなる
- 人とのコミュニケーションがうまくできない
- 集団行動ができない
- 忘れ物が多い
- 集中できない
- 勉強のやる気が出ない
- やりたくないことをしない
- 嘘をつく
- 人のせいにする
- じっと座っていられない
- 身体の使い方が不器用
- 自信がない
- 先生の注意を聞けない
- その場に応じた対応ができない
- 嫌なことから逃げる
- 漢字がなかなか覚えられない
- 計算が苦手
少年院で支援活動に取り組んでいる筆者は、上述の項目は普通の学校で困っている子どもたちだけの特徴ではなく、少年院にいる非行少年たちの小学校時代の特徴とほぼ同じであることに気付きます。
少年院に収容される少年というと、家庭や成育歴が荒んでいるイメージを持たれがちですが、実際には成育歴の悪さは必ずしも当てはまらず、むしろ上述の特徴の方が共通していたことが分かります。このようなサインを小学2年生ごろから少しずつ見られ始め、小学校、中学校にわたって出し続けていました。
サインを出す背景として、知的障害や発達障害といった本人固有の問題や、家庭内での不適切な養育や虐待などの環境の問題があります。しかし、友達から馬鹿にされていじめに遭ったり、保護者や先生からは単に手がかかる問題児と扱われたりするために、背景に気付かれず、結果として問題が深刻化しているケースもあります。
支援の手からすり抜ける境界知能を持つ人々
一般的にはIQ(知能指数)70未満が知的障害とされますが、この定義は1970年代以降のものです。1950年代の一時期はIQ85未満が知的障害とされたことがあり、かつて知的障害とされたIQ70~84の範囲を現在では「境界知能」と呼びます。知能分布から算定すると、境界知能を持つ人々は人口の約14%存在するとされています。しかし時代によって知的障害の定義が変わっても、境界知能の子どもたちが存在し特別な支援を必要としている事実は変わりません。彼らは知的障害者と同じく生きづらさを感じていても、周囲に気付かれず支援の手からすり抜けてしまいます。
境界知能によってしんどさを感じていても、本人が子どものうちは周りの大人や学校の先生が目をかけてくれるので、問題が顕在化しない場合もあります。しかし学校を卒業して社会に出ると、誰も気にかけてくれる存在がいなくなり、忘れ去られてしまいます。IQが100ないと世の中で自立して生活していくのが困難と言われているので、境界知能を持つ人々は相当な生きづらさを感じていると思われます。
境界知能や軽度知的障害を持つ人々は、日常生活を送っている限りではほとんど健常者と見分けがつきません。本人も普通を装ったり、支援を拒否するケースもあります。しかし、特別な支援やフォローが必要であることには変わりありません。境界知能・軽度知的障害者と健常者で違いが現われるのは、非常時やトラブルに巻き込まれた時です。彼らは柔軟に対応することが苦手で、いつもと違ったことや初めての場面に遭遇すると、思考が固まったりパニック状態になってしまいます。
社会に出て仕事を始めると、初めてのことだらけだったり予期しないトラブルの連続で、まさに社会の荒波にもまれることになります。多くの境界知能・軽度知的障害者はうまく対応できず、仕事上のミスや人間関係の失敗で職場を転々としたり、引きこもったり、うつ病になったり、最悪の場合には犯罪を犯してしまうのです。
現状の問題点
学校教育の段階で、発達障害、知能障害、境界知能を持つ子どもたちの存在を洗い出し、適切な支援を行っていくことが重要です。しかし、現在の日本社会では、彼らに合わせた対応ができているとは到底言えません。現状の問題点について、筆者は以下の5つから指摘しています。
- 教育現場のフォロー不足
- 医療、心理面からのアプローチの限界
- 知能を測る指標の不備
- 司法分野の課題
- 欧米の受け売り
教育現場のフォロー不足
現在の学校教育では、「褒めて伸ばす」「話を聞いてあげる」という手法が多く取られますが、その効果は限定的です。なぜなら、これらは対症療法に過ぎず、問題の根本的な解決につながらないからです。例えば、勉強についていけない子どもに対して、勉強以外の分野でよいところを見つけて褒めたり、悩みや話を聞いてあげると、最初は本人も喜んでモチベーションが上がるかもしれません。しかし、勉強が分からないという根本的な課題には目を反らしたままで、結局元の状態に戻ってしまいます。本人の理解力に合わせた学習支援を行って、勉強ができるように指導するしか解決方法はないのです。
子どもへの教育・支援は、大きく「学習面」、「身体面(運動面)」、「社会面(対人関係など)」の3つに分けられますが、現在の学校教育は学習面の中でも教科教育に偏っています。全ての学習の土台となる認知能力をきちんと測定して、そこに弱さがある児童に対して適切なトレーニングをさせる支援の仕組みはありません。「形を認識する」「図を写す」「量を数える」といった基礎的な認知能力がなければ、計算や漢字といった複雑な学習内容を理解できないのはもちろん、黒板の板書をノートに書き写すことすらできません。
教科教育一辺倒の学校現場では、特に社会面の教育・支援が蔑ろにされています。道徳という科目はありますが、友達やクラスメイトとの付き合い方や集団行動のマナーなど、日常生活に必要なコミュニケーションの方法を体系的に学ぶ場はありません。大半の子どもたちは学校で集団生活を送る中で、自然と人とのコミュニケーションを学ぶことができますが、発達障害、知能障害、境界知能を持つ子どもたちにとっては困難です。周囲の人とうまくく付き合えず、勉強にもついていけないという課題を抱えた子どもたちを放置すると、自信喪失や怠学に結びつき、ひいては非行化していきます。
医療、心理学からのアプローチの限界
認知機能の弱さによって生きづらさを抱えた子どもたちに対して、医療や心理学からアプローチしたとしても、治療効果は限定的です。まず、医療的な支援は、社会生活の困難などから表れた精神的な症状を投薬によって抑える対症療法が中心となり、認知機能の底上げにはつながりません。
また、心理学によるアプローチも限界があります。臨床心理士などは、検査を行って子どもたちの知能や発達の状況を把握することはできます。しかし、認知機能に弱さがある子どちを支援する具体的なメソッドがありません。例えば、認知行動療法は、対象者の認知機能に問題がないことを前提としたは中心に支援を行うので、治療効果が望めません。
知能を測る指標の不備
子どもの知能を測る検査(WISC検査)自体にも穴があります。一般にIQ(知能指数)と呼ばれるもので、「言語理解」「知覚推理」「処理速度」「ワーキングメモリ」の下位指標から構成され、それぞれ2~3個の下位検査の結果に基づいて算定されます。IQの平均は100で、上述のとおりIQ70未満が知的障害、IQ70~84が境界知能となります。
しかし、人間の知能は、IQという指標だけで測れるほど単純ではありません。IQの数値上は問題がなくても、生きづらさや困難を抱えている子どもが多くいます。例えば、IQ100前後で知能に問題がないと判定されても、下位検査の数値が項目によって大きなばらつきがあるケースがあります。ある項目の数値が極端に低いと、IQ全体の数値は正常範囲内だったとしても、学習や対人コミュニケーションが難しくなります。
そもそも、WISC検査の中には、思考の柔軟性や認知機能を測る項目がありません。IQが低くても要領が良く世渡り上手な子どもは存在しますし、逆にIQは高くても頭が固く手際が悪い子どももいます。検査だけでは子どもたちの個々の特徴や傾向を正確に掴むことができません。
むしろ、WISC検査は、下位検査で極端に低い数値がありながら「IQは問題ない」と判定された子どもたちにとって、本来必要な支援やフォローを受ける機会を奪う存在とも言えます。検査によって知能に問題がないと太鼓判を押されたために、本人が社会にうまくなじめないのは自己責任の問題と見なされ、周囲から怠けている、やる気がないなどと糾弾されます。筆者は、WISC検査について、必要な支援を受けられない子どもをたくさん生み出している「ざる検査」と一蹴しています。
司法分野の課題
現代の司法分野では、本人の生来の素質や置かれた環境などの面から犯罪を起こした理由を明らかにすることに重きをおいており、今後同様の事件が起きないように何を改善するべきかという再犯防止の観点から対策が論じられることはほとんどありません。犯罪心理学や司法精神医学の分野においても、司法精神鑑定、心神喪失者等医療観察法による鑑定、矯正医療など「なぜ事件を起こしたのか」「どのくらい責任がとれるのか」が論点の中心となり、「どうすれば事件を防げるのか」「また事件を起こさないためにどのように支援すればよいのか」「同じようなリスクを持った子どもや少年はいないのか」という具体的な視点は不足しています。
欧米の受け売り
日本の矯正施設では、欧米のプログラムを積極的に取り入れる傾向にありますが、日本でそのまま使用すると違和感がある部分が多くあります。プログラムを受講する少年たちにとっては、内容が難しかったり受け入れられないことがあり、その治療法を強制されたことが原因で精神状態を崩してしまうケースもありました。単なる欧米の受け売りでは不十分で、日本の文化や価値観に合わせて指導内容を練る必要があります。
困難を抱える人を支援する実践的なメソッド
非行少年たちは氷山の一角で、学校や社会のあちこちに認知機能の低さゆえに生きづらさを抱えている人々が存在しています。では、どのように彼らを支援すればよいのでしょうか?筆者は本書の最終章において、認知機能に着目して支援する実践的なメソッドを紹介します。
非行少年が変わろうとするきっかけ
少年院に送られた少年たちは、約1年間の矯正教育を受けます。収容当初はやる気がなくても、数か月の少年院生活を経て、大きく変わろうとする少年がいます。筆者は、少年たちに変わろうと思ったきっかけを尋ねて、下記の通りまとめました。
- 家族のありがたみ、苦しみを知ったとき
- 被害者の視点に立てたとき
- 将来の目標が決まったとき
- 信用できる人に出会えたとき
- 人と話す自信がついたとき
- 勉強が分かったとき
- 大切な役割を任されたとき
- 物事に集中できるようになったとき
- 最後まであきらめずやろうと思ったとき
- 集団生活の中で自分の姿に気付いたとき
ここに挙げられた様々な声は、「自己への気付き」と「自己評価の向上」の2点で共通しています。
自己への気付きを得て、自己評価を向上させる方法
人が自分の不適切な部分を直すには、適切な自己評価が必要です。悪いことをしてしまう現実の自分に気付くことで、なぜこんなことをしてしまうのか、どうすれば防げるのか自己洞察や内省につながります。理想の姿と現実の自分とのギャップに葛藤したり揺れ動いたりするうちに、自分の中に「正しい規範」が形成されていきます。自己の規範と照らし合わせながら言動を正す努力を重ねることで、理想の自分に近づいていくのです。このプロセスを踏むためには、自己を適切に評価できる力、自分はどんな人間なのかを理解できる力が大前提になります。
自己に注意を向けることで自己洞察や内省が生じる背景に、自覚状態理論があります。自己に注意が向くと、自分が気になっている事柄に強く関心が向くようになります。その際、自己規範と照らし合わせ、その事柄が規範にそぐわないと、不快感が生じます。この不快な感情を減らしたいという思いが、行動変容の動機づけになるという考え方です。例えば、ある少年が万引きしようと考えた時に、自己に注意を向ける機会があると、万引きという行為自体についても関心を向けるようになります。その少年が「万引きは悪いことだ」という規範を持っていれば、今の自分を不快に感じて、万引きを止めるきっかけになるという理論です。
少年院に収容された少年たちは、集団生活を強いられる一方、矯正教育においては自分の存在や言動に注目され、とことん突き詰められます。自分に注意を向けさせる方法は様々ありますが、学校の先生などの身近な大人が子どもに対して「あなたを見ていますよ」というサインを送るだけでも効果があります。また、少人数のグループワークも、メンバー同士でお互いを観察し合うため、自己に注意を向ける大きなきっかけとなります。メンバーからの指摘やコミュニケーションを通じて、自分について新しい気付きを得られる場合もあり、適切な自己評価の形成という面からも重要です。
さらに、グループ活動が少年たちが自己評価を向上させるきっかけになる場合もあります。筆者が少年院で授業を実施した際、やる気がない少年たちは話を聞かないどころか茶々を入れて進行を妨害する有様でした。腹に据えかねた筆者は教壇から降りて、今後は少年たち自身が先生役を立てて授業を行うよう指示しました。すると、我先にと先生役をやりたがり、生徒側の少年たちも授業に積極的に参加するようになりました。しかも「もっと授業を進めましょう」「今度の授業はいつあるんですか?」と言い出すなど、全体の雰囲気ががらりと変わり、結果的に少年たちの成績は大きく伸びました。
一見何事にもやる気がないように見える少年たちは、これまで「こんなこともできないのか」と周囲から否定され続けてきたために自己評価が低くなっているだけで、心の底では「人に認められたい」「人から頼りにされたい」という気持ちを強く持っています。上記の授業での経験は、少年たちの「人にものを教えて評価されたい」という気持ちとマッチしたために成功しました。少年たちも人の役に立つことで自己評価の向上につながり、次第にやる気や積極性を発揮していきます。
このように少年たちは少年院で集団生活を送る中で、様々な人との関係性を通して自己への気付きを得るとともに、様々な体験や教育によって自己評価を向上させることによって、更生や社会復帰に向けて大きく変化することができるのです。
認知機能を底上げするコグトレ
認知機能は、勉強はもちろん対人関係にも重要な全ての行動の土台となる能力です。認知機能を底上げする具体的なメソッドとして、筆者は「コグトレ(認知機能強化トレーニング)」を紹介しています。医療少年院で約5年かけて開発された手法で、認知機能を構成する5つの要素(記憶、言語理解、注意、知覚、推論・判断)に対応する「覚える」「数える」「写す」「見つける」「想像する」の5つのトレーニングで構成されます。教材はワークシートを利用し、紙と鉛筆を使って取り組みます。
トレーニングの代表的なワークと大まかな概要は以下のとおりです。なお、教材は宮口治著『コグトレ―みる・きく・想像するための認知機能強化トレーニング』(三輪書店)で市販しており、特設サイトにコグトレの概要説明とワークシートのサンプルが掲載されています。
覚える:「最初とポン」
出題者が読み上げる3つの文章を聞き、最初の単語だけを覚えると同時に、動物の名前が出たら手を叩きます。下記の文章を例にとります。
大急ぎでネコはその壺の中に入ろうとしました。
壺を壊そうとイヌが足で蹴りました。
答えは「サル」「大急ぎ」「壺」の3つですが、下線のサル、ネコ、イヌで手を叩く必要があります。
この他に、3~5個の複数の単語のセットを3つ読み上げ、最後の単語だけを覚えると同時に動物の名前が出たら手を叩く「最後とポン」、大きい・小さい、重い・軽い、遠い・近いなど比較の入った文章を読み上げ、何が一番目かを聞き取る「何が一番?」などがあります。これらのトレーニングによって、聴覚のワーキングメモリ(情報を一時的に保持する脳機能)を鍛えられます。
具体的な効果としては、クラスメイトからのちょっかいなど他の刺激に気を取られずに先生の話をしっかり聞く力がつきます。ある中学校では「最初とポン」の成績と定期テスト(国語と数学)の点数に相関関係がありました。簡単なトレーニングですが、子どもの学習支援につながっていると言えます。
数える:「記号さがし」
例えば、色々な果物のマークが複数段に並んだワークシートの中から、リンゴのマークの数だけ数えながら、できるだけ早くリンゴにチェックマークをつけます。但し、リンゴの左側に決められたストップ記号(上記のシートでは雪だるま、鍵穴、ニコちゃんマーク)がある場合には、数にカウントせずチェックマークもつけません。ストップ記号の組み合わせによって難易度を調整できます。
このトレーニングでは、しっかりブレーキをかける練習をします。衝動や感情を抑えるブレーキが弱いために後先考えずに突っ走ってしまい不適切な行動をやめられない子どもたちに対して、新しいブレーキをつけることができます。筆者は、人を殺してみたい気持ちを抱えたある少年と出会い、長い時間をかけて被害者の気持ちや命の大切さ、殺人罪の重さなどを教育しましたが、人を殺したい気持ちは消えませんでした。殺したい気持ちを消すのは困難だと知った筆者は、殺人衝動が湧いた瞬間に自らブレーキをかける訓練として、この少年に記号さがしのワークシートを毎日取り組ませました。このトレーニングだけで再犯を防げるとは限りませんが、従来の矯正教育だけではなく認知機能を向上させるトレーニングも必要だと、筆者は強調しています。
写す:「点つなぎ」
点と点で結ばれた見本の図形を見ながら、下の枠に同じように書き写すトレーニングで、視覚認知の基礎能力をつけます。他にも、回転する台紙上に書かれた星座を書き写す「くるくる星座」、見本の図形が鏡面や水面でどのように見えるか想像しながら写す「鏡映し」などがあります。
見つける:「同じ絵はどれ?」
複数の絵の中から同じ絵を2枚見つけるトレーニングです。他にも、点々の中から正三角形になっている配列を見つける「形さがし」、ある図形の輪郭を読み取る「黒ぬり図形」などがあります。
想像する:心で回転
ある図形を正面から見た場合と、右側、反対側、左側から見たらどうなるかを想像する課題で、相手の立場に立ってみる練習であり、相手の気持ちを考える力につながる可能性があります。
他にもスタンプにあるイラストを紙に押したらどうなるか想像させる「スタンプ」、ストーリーを考えて複数のイラストを並べ替える「物語つくり」などがあります。
コグトレのメリット
子どもたちにとってコグトレは学習の一部です。漢字を覚えるには形を認識する力、計算ドリルでは数字を記号ではなく量として考える力が必要ですが、コグトレによって学習の土台となる認知機能を鍛えることができます。コグトレには下記のメリットが挙げられます。
- 子どもの心を傷付けない
- お金をかけずに短時間で手軽にできる
子どもの心を傷付けない
コグトレはパズルやゲームのような課題なので、うまくできなくても子どもの自尊心を傷付けません。漢字や計算ドリルなどが出来ないと、子どもは「学習そのものが出来ない」と思って落ち込みますが、コグトレはゲーム感覚で取り組めるので直接的には学習という感じを受けません。コグトレを通して、楽しみながら課題に取り組み、知らず知らずのうちに学習の土台を固めて成績向上につなげることができます。
お金をかけずに短時間で手軽にできる
コグトレは限られた時間でも実施することができます。通常の学校教育では、認知機能が弱い児童に対して何ら対応できていないのが実情ですが、学習カリキュラムは学習指導要領に則って厳格に管理されており、教員がまとまった時間を使って独自にプログラムを実施するのは困難です。しかし、コグトレはその手軽さから、規定の授業時間外でも実施することができます。例えば、コグトレの「最初とポン」は1題1分あれば取り組めるので、朝の会や帰りの会の5分を使ってコグトレを5題できます。1日あたりの実施時間は短くとも、毎日積み上げることで、子どもの認知機能を着実に底上げすることが可能です。
コグトレには特別な教材は不要で、ゴミになるような古新聞、綿棒、ペットボトルなどを使って、手軽に取り組めます。
上記の画像は、身体面の機能を高めるために使う「コグトレ棒」で、新聞紙を10枚使って棒を作り、両端と中央をカラー布テープで止めたものです。様々な身体を使った運動に使用することができます。
上記は「綿棒積み」の画像で、指先の細かい運動を鍛えるトレーニングです。2人でチームを組み、綿棒を井型に積み重ねたタワーを作ります。90秒の制限時間内に最も高く積んだチームが勝利します。時間を意識し、他のチームの積み上げ具合を見ながら、綿棒が崩れないようブレーキをかける練習を行います。
ペットボトルを使って社会面のトレーニングもできます。上記の画像は「感情のペットボトル」で、なぜ感情を表現する必要があるのかを説明するための教材です。水を入れた500ミリリットルのペットボトルに様々な気持ちを貼りますが、「怒り」だけは2リットルペットボトルにします。「怒り」の感情が最も厄介で、トラブルの原因となるからです。一方「うれしい」のボトルには水を入れません。次に、大きな袋に「感情のペットボトル」を入れて子どもに担がせます。重いボトルを担ぎ続けることで、気持ちを出さずに溜め込むしんどさを体感することができます。
その後、1本ずつペットボトルを取り出していきます。袋が軽くなり少しずつ身体が楽になることを通して、気持ちを外に表現することの大切さを学ばせます。特に、一番重い「怒り」のボトルを手放すと楽になるので、自分の内に「怒り」を抱え込むことのしんどさが理解できます。しかし、「怒り」のボトルを相手に向けていきなり投げつけると周囲は困惑し、相手がケガをした場合は犯罪になります。「怒り」を外に出す時は、先生や親など周囲の大人にそっと渡すよう併せて指導します。このように、「感情のペットボトル」を通じて、感情の表現の仕方などを学ぶことができます。
脳機能と犯罪の関係
コグトレのような認知機能トレーニングは、犯罪を減らすことにもつながります。凶悪犯罪の中には、生活歴や性格の問題以外にも、脳機能障害が深く関わっているケースがあるからです。
およそ150人もの殺人犯と面接した米国ジョージタウン大学医学部教授ジョナサン・ピンカスは、その著書『脳が殺す―連続殺人犯:前頭葉の”秘密”』(光文社)において、検査した殺人犯の大多数に前頭葉の神経学的損傷が疑われる形跡があると指摘し、脳機能障害だけで犯罪に結びつくわけではないものの、脳の「神経学的損傷」「被虐待体験」「精神疾患」の三要因が揃った場合、犯罪に至るリスクが高いことを警告しています。
日本国内に目を向けると、2001年に起きた大阪教育大学付属池田小学校事件を起こした宅間守死刑囚は、精神鑑定の結果、脳MRIによって中脳左外側部に腫瘍が発見され、他の検査では前頭葉機能の低下が指摘されました。また、前頭葉機能のうち「変化する環境のもとで認知的戦略を変化させていく能力」の障害の可能性も示唆され、「前頭葉に何らかの障害がある可能性を示唆する所見はある。人格や精神症状との関連については今後の精神医学的研究に期待したい」と書かれました。
精神科医の福島章は、精神鑑定を行た殺人犯48例の脳MRIや脳CTなどの画像診断の結果をまとめ、半数の24名に脳の異常所見を確認しました。被害者が2名以上の大量殺人に限っては、62%に異常を認めました。
しかし、日本では脳機能障害が裁判の焦点となる事例はまだまだ少ないのが現状です。たとえ犯人に脳機能の異常があったとしても、重大な事件に対しては慎重な議論が必要であることは言うまでもありません。ただ、脳機能の障害に対応した人気脳へのトレーニングは、矯正現場においても必要であることは確かであり、その後の再犯率を下げる意味で重要な意味を持つと言えます。
終わりに
最後に筆者は「犯罪者を納税者に」という一節で、本作をしめくくっています。現在、刑務所にいる受刑者を一人養うのに、年間約300万円かかるという試算があります。受刑者の中から一人でも健全な勤労者・納税者に変えられれば、大きな経済効果があります。窃盗や詐欺などの財産犯だけで年間2000憶円の被害額が出ている現状で、犯罪者を減らすことや、更生教育によって受刑者の再犯を防止することは、日本の国力向上に直結します。
非行や犯罪のリスクを下げるためには、「困っている子ども」の早期発見と支援が不可欠です。そのためには、周囲の大人によるフォロー、特に子どもが毎日通う学校現場における対策が重要です。
本作で筆者が提示した手法や意見を踏まえた上で、今後、認知機能向上という新たな視点を持った学校教育が充実していくことを期待します。